急成長からの経営危機。QB HOUSEが人を育てる「現場重視」に変わるまで。【QB HOUSEの歴史「成長拡大期」】
2022年12月23日 17時00分 キュービーネットホールディングス株式会社
1996年11月のQB HOUSE1号店オープンから10年を迎えた2006年、不況下で着実に店舗数を増やしていったことから“デフレの優等生”と言われていたQB HOUSE。実は社内では人的資源、金銭的資源など多くの問題が噴出し“経営危機”に。その舞台裏を赤裸々にお伝えします。
withコロナ時代となり、これまでのような社会ではなくなった今だからこそ、自社の歴史を振り返り、どのように変容していくのか、進化していくべきなのか、気付きの機会になればと広報担当の私が、順風満帆ではなかったQB HOUSEの25年間の歴史を3回にわたって振り返る2回目。
急成長の裏で
現社長の北野の入社は2005年。2002年のシンガポール進出が軌道に乗り始め、事業拡大へと推し進める時期でもありました。メディア露出も多く、表向きには好調に見えていたと思いますが、実は社内では色々な問題が噴出していたのです。
企業として身の丈が追い付かない中での大量出店に、現場スタッフから不平不満が続出、離職率があがっていく中で、新しいスタッフも入ってくるという入れ替わりの激しい混沌とした時期でした。今思えば、成長ばかりを見て、現場に対して細かい配慮、気配りができていなかったのだと思います。
2006年頃から、離職が増えたことによる人材不足が深刻化、それに伴い売上が低迷するといった負のスパイラルが始まり、いよいよ会社の成長に陰りが出始めていきます。
一晩にしてQB HOUSEが消える
日本国内でそのようなことが起きている頃、海外でも予想外のことが起こります。フランチャイズ契約で進出していたシンガポールの「QB HOUSE」が、一晩にして「EC HOUSE」に看板が掛け替えられたのです。その光景を目にした現地商業施設の責任者の方から日本の本社に「屋号を変えたのか」と連絡をいただき、その事実を知ることとなります。
日本ではフランチャイズ契約をしている店舗名を勝手に変えて、一方的にフランチャイズ契約を破棄しようという事案はまず起きないと思います。しかし、そこは海外、紳士協定も何もあったものではありません。結局、フランチャイズ契約先を相手取り、法廷まで持ち込まれるわけですが、現地で知財登録をしていても当社が敗訴。不服申し立てをするも埒が明かず、訴訟費用が膨れ上がり海外事業の赤字は膨らむばかり。結局、高い授業料として敗訴を受け入れることとなるのですが、日本の常識が通用しない海外の恐ろしさを知った一件となりました。以後、海外事業はフランチャイズをやめ、全て直営に切り替え現在に至ります。
奇策「QBシェル型店舗」で猛攻勢に出る
この海外の巻き返し策については、創業者ばりの奇策「QBシェル型店舗」で復活を遂げていきます。もともと国内で展開するために開発されたものでしたが、理美容サービスは天井・床・壁で囲まれている場所でなくてはならないという国内の規制の壁を越えられずお蔵入りとなっていたものを、海外で展開させようとなったわけです。訴訟で使い果たし、お金がないタイミングでの苦肉の策です。
日本の皆さんは、ご覧になったことはないと思いますが、わずか3時間もあれば設置出来て、2時間あれば撤退も出来るそれは、店舗というよりはカットブースを囲んだものといった方がイメージが伝わるのではないでしょうか。その分、占有面積が狭く家賃も安価、1つの店舗を作るよりもはるかにコストを抑え、わずか3時間のうちに出店が完了するスピード感で巻き返しを図っていったのです。結果、「EC HOUSE」からスタッフを取り戻し、店舗数を逆転させることにも成功しました。
日本で日の目を見なかったその「QBシェル型店舗」は、香港でも評判となり、翌2006年の「グッドデザイン賞」を受賞。絶対に復活してみせるという熱い想いを持ち、日本と現地のメンバーが諦めずに知恵を出し合い、人の採用や研修に苦労しながら「利用者よし・働き手よし・会社よしの三方よし」の状態を6年の歳月をかけて構築していったことで、海外直営店舗は不死鳥の如く復活していきました。その結果として2018年6月、「第2回日本サービス大賞」において、日本発祥のサービス業を海外で拡大させることに成功し、人材教育にも力を入れ、現地雇用にも一役買っているとして「JETRO(日本貿易振興機構)理事長賞」を受賞します。
▼2006年「グッドデザイン賞」
https://www.g-mark.org/award/describe/32878
▼「第2回日本サービス大賞 JETRO(日本貿易振興機構)理事長賞」
https://service-award.jp/result_case02/jetro.html#ttllink
その頃、日本では
海外が復活を見せている頃、日本では何が起きていたかと言えば、家業から企業へ脱皮すべく、筆頭株主が創業者からオリックス社に変わるなどして、2009年に現社長の北野が社長に就任しました。海外は訴訟の真っ最中、日本は人材不足・売上低迷と、傍からみれば大変な時期での社長就任でした。
北野がまず手を付けたことは、ことごとく現場の声に耳を傾けることでした。当時、北海道から沖縄まで30ほどのブロックに分かれていましたが、ブロックごとに開催される忘年会もしくは新年会に顔を出し、現場で働くスタッフの声に耳を傾けたのです。マネージャーや店長クラスだけなら分かりますが、実際に店舗で働くパート社員の声を聴いて問題・課題を吸い上げようとしている姿を見て、当時、私は北野の変革を成し遂げようとする並々ならぬ覚悟を悟りました。「今、変わらなければ、QBが死ぬ」と言わんばかりに。
そこで北野が実施したいと考えていたことが、カット経験の浅い人を採用し育てあげるしくみを作り上げていくこと。昭和22年に理容師法、昭和32年に美容師法が施行されて以来、大きな変革がないこの理美容業界において、カット技法を人に教えることは考えられませんでした。今、インボイス制度が問題となっておりますが、まさに真正面から影響を受ける理美容業界。これまでの理美容店はまさに個人店や面貸しと呼ばれる業務委託契約で働く理美容師が多く、職人気質で師弟関係の強い業界ということもあり、〝技術は見て盗め、そして将来は独立しろ〟というのがこの業界の一般的な価値観でした。
しかし、当時400店舗を超えていたQB HOUSEにとって、カット経験の豊かな人がこの先も継続的に入社してくれる環境は続かないと考えており、事実、腕利きの理美容師の採用は頭打ちになっていました。今でこそ、どの業界も人材不足の話をしていますが、QB HOUSEでは当時から将来に向けて、人材不足の危機感を強く持っていましたので、カット技術に不安を抱える人を育てあげる環境がなくては中長期的な成長はないと考えていました。また、理美容師の資格を持っていたとしても日本で理容師・美容師として働くことが出来るのは日本国籍を有する者のみと定める理容師法・美容師法についても、日本の人口減少予測から、日本の理美容師の資格を保有していれば外国人でも働くことができるようにすべきと政府に規制緩和の要望書を提出したりしていました。
ところが、そう簡単にはモノゴトは動きません。社内で研修をして人を育てあげるしくみは、「技術を覚えてすぐに退職するのでは」という社内の反対意見に阻まれ、外国人技術者の雇用についても、改善が見えたのは規制緩和の要望書提出から10年後の2021年、東京都の特区としてようやく緩和されました。
未曽有の出来事から得たもの
そんな海外が復活し、北野が変革に手を付け始めた頃、日本をあの悲劇が襲います。東日本大震災です。東京から北海道までのQB HOUSEの半数以上が津波、店舗や建物の被災、電力不足による計画停電など何かしらの影響を受けました。それまで駅構内にあることが強みの一つでしたが、突如として弱みに変わり、宮城県内の店舗はなかなか再開の目途がたちませんでした。北野は本社メンバーの寄せ書きとお見舞いを渡しつつ、何を必要としているのかといった生の声を聴くために自ら現地へ飛び、現地スタッフの休業期間中の生活を保障し、直近の生活に安心していただくなど平常心、日常を取り戻していただくことに注力していました。
震災からひと月ほど経つと、店舗勤務のできない東北のスタッフから、当時、スタートしたばかりだった訪問理美容サービスの特別車両「サロンカー」を東北に派遣して欲しいと提案があり、北野も即答。当時各地にあった被災地の避難所をまわり、現地の新聞にも取り上げられることになるなど大きな反響をいただきました。
私の肌感ですが、この頃からバラバラになりかけていたQB HOUSEスタッフから、個々の考え・行動力などもともと持っていたホスピタリティ、ハートフルな部分が滲み出てきたように感じ、潮目であった気がします。色々な意味で「このままではマズイ」「とにかく前を向いて歩きださねば」といった雰囲気が社内のあちらこちらで醸成され、お互いがお互いに興味を持ち、気にかける人が増えていったと記憶しています。
そして、お互いがお互いを認め合うことを実施したいと北野が始めたのが、全国の店長を一同に会して開催していた「全国店長会」のフルリニューアルです。過去3回、開催時期や規模、場所、内容がバラバラでしたが、2011年11月から年1回、永年勤続表彰や売上高、前年対比などの視点から数値化、ランキング形式で営業成績を表彰するスタイルに変更。翌2012年11月からは、営業成績だけでなく個人の技術力も相互に認め合おうと社内カットコンテストをスタートさせました。
ここまでが現社長・北野による“経営危機”脱出の経緯です。非常に経営の舵取りが難しい時期に、アイデアマンの創業者から経営のバトンを引き継いだわけですが、強いリーダーシップを持ちつつ行動力のある社長と感じる一方で、震災時の被災者や今春入社した新卒社員に対しても肩を並べて寄り添える人情味のある社長だと私は感じています。
2023年。QB HOUSEは今、さらなる変革をしようとしています。
今後、QB HOUSEがどうのように進化していくのか、ぜひご期待ください。
▼関連動画(QB公式YouTubeチャンネル)
【QB GRAND PRIX 2022】 QB HOUSE カットコンテスト ダイジェストムービー
https://www.youtube.com/watch?v=sdwMjc3MNWM
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